ゆうしゃ は らしんばん を てにいれた!
執筆者:ロミイ
私にとって走ることは、少年漫画の主人公が挑む修行のようなものだった。
主人公は限界を乗り越え、強大な力を手に入れる。私もそうなりたかった。
幼少期からバレーボールにのめり込んでいた私は、プロを目指し限界まで自分を追い込むようになった。
そのペースは長く続かなかった。でも休むわけにはいかない。母親の期待に応えたい、何より自分自身を認めたかった。
ここを乗り越えれば成長できるはず。
しかし疲れや怪我で、思うように動けなくなった。周囲についていけない。自信を失くした私は立ち止まってしまった。その時、奈落の底に突き落とされるような落ち込みが襲いかかった。
頑張りたいのに動けない。
残るのは絶望だった。もう燃やせるものがない。消し炭のようになっても理想を掴みきれない。
私は退部届を提出した。
やがて不登校になった私に、母親は「あまり頑張るな」と言った。その言葉は自己嫌悪に拍車をかけた。前に進みたいなら頑張るしかないだろう。その努力も否定されるのか。
もはや何が正しいのかわからない。でも、理想さえ掴めば、やっと自分を認められるかもしれない。そのためなら自滅しようがどうでもいい。
いつしか私は、また自分自身を蔑ろにするようになっていった。
ひとり親になったときも、私は全てを仕事に捧げ、自分をすり減らしていた。
本業のほかに副業を始めたが、いくらやっても自転車操業で、もはや何のために頑張っているのかわからなくなっていた。
気力が朽ちていくのを呆然と眺めていたとき、シングルマザーズシスターフッドのセルフケアに出会った。
私はやっと、疲れ果てた自分自身を直視した。この有り様では頑張れるはずもなかった。
もう限界だ。これだけやっても、また私は理想に辿り着けないのか。
走り始めたのは、そのタイミングだ。
「5分でもいい、話しながら走れるペースで」
そう言われ、初めて自分のペースを意識した。
ペースを上げる。息が切れて苦しくなる。
最後まで走れるかと自分に問い、ペースを落とす。
呼吸が落ち着いて充実感が満ちる。
そのうち体の準備が整ったのを感じる。するとペースを上げても体がついてくる。
気持ちと体が応え合い、力を発揮できる。
「これが自分のペースか!」と大発見した気持ちだった。
自分自身に伴走し、毎分毎秒変化する心身の状態に応え続ける。
それは、走りながら自分自身を尊重する行為だ。
走るたびに、自分への信頼感が積み重なっていく。
「自分を慈しむこと」と「頑張ること」の両立。
あれほどできなかったことが、すんなり体現できたことに驚いた。
走るのは楽しかった。地面を蹴り出し、宙を駆ける。
自由を感じる。
それは、何かに打ち込む時と同じ感覚だ。
好奇心が火矢のように飛び、刺さって一気に燃えあがる。
そうなった私は無敵だった。
ああ、私は好きなだけ頑張りたかったのか。
その一方で頑張ることに恐れも感じている。
母親の声が蘇る。「あまり頑張るな」
いいや違うね。そんなつまらないことを言うな。私は思いっきり走りたいんだ。ペースなんかくそくらえだ。
走って走って、転んで起きて、泥にまみれてまた走る。
そうやって前に進んできた。どん詰まりでも考えうる手をすべて打ち、状況を打開してきた。
結果が出なくても構わなかった。自分が頑張っている事実にだけは胸を張れたからだ。頑張りたい気持ちはエネルギーそのもので、いつだって私の味方だった。
そんな命さえ燃やし尽くすような情熱を肯定しても、今の自分なら応えられる。
情熱を燃やすのにもパフォーマンスを発揮するのにも、コンディションが土台にあることを知っているからだ。
たとえ情熱のまま無理をしても、心身に応じて調整していける。走ることで自分を見つめ、信頼を取り戻してきた私なら。
いざ行かん! 勇者は、羅針盤を手に入れた!
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最後までお読み頂きありがとうございました。このエッセイは、寄付月間キャンペーン2024のために、シングルマザーのロミイさんが執筆しました。NPO法人シングルマザーズシスターフッドは、シングルマザーの心とからだの健康とエンパワメントを支援する団体です。ご寄付は、「シングルマザーのセルフケア講座」の運営費として大切に使わせていただきます。ご寄付はこちらの寄付ページで受け付けております。
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