動くこと、生きること。
執筆者:檸檬
「おはようございます!離婚裁判の期日でストレスが溜まり、初めて長めに走りました!スッキリ!金木犀、どんぐり、銀杏のあのにおい、プラタナスの落ち葉。外を走ると五感が冴えて気持ちいいんですね。ちょっと疲れたので、次からはゆっくりマイペースに戻ります!」
公園隣にある早朝営業のスーパーで、いつものコーヒーの代わりにカフェオレ味のプロテインドリンクを買った。
ベンチに腰かけ、タンパク質を補給しながら、シスターフッド・ランニングクラブのグループチャットへ今日のラン記録をシェアした。
早速、「いいね」の顔文字スタンプがつく。
とはいっても、ランニングを始めたのはつい最近で、当面の目標は週2回の5分ラン。
夜型人間だった私が朝のひと時で充実感を味わっている。
***
時は3カ月前に遡る。私は病院にいた。
手術
鮮やかな赤が視界に広がる。
開腹手術当日の朝、個室から出ようとした瞬間の出来事。意識が朦朧とする中、緊急呼び出しコードを引っ張った。周囲がバタバタする中、私は担がれてベッドに移される。
大量出血。最高血圧が37mmHgまで低下。
出血性ショックに陥った。
自分の指が硬直して掌に食い込んでいく。「掌よ開け」と念じてみても、びくともしてくれない。いよいよ全身がしびれ、硬くなった。息が浅くなり、冷たい感覚が全身を包み込んでいく。
「たしゅけて。まや死にたくにゃい…。こぢょも、ひとり…なる。」
ろれつが回らない。
執刀医が懐中電灯を目に向け、瞳孔を確認する。ライトのステンレスの縁に、ちらっと自分の顔がうつった。まっしろだ。まるで歌舞伎のおしろいを唇までほどこしたよう。
ベッドの両側で執刀医と看護師さんが握ってくれる手に、体温を感じる。
「怖かったね」
その一言で熱いものが込み上げてきた。
「こやかった。」
拭えぬ涙は頬に細い筋をつくり、耳へと零れ落ちる。
体の奥から湧き上がるものこそが、今、私がこの場に存在していることの証拠だ。
術後2カ月とすこし
こわごわと外を走ってみた。
一歩、また一歩と足を前に踏み出すごとに、自分の人生が更新されていくのを感じる。周りの景色とともに、心の中の景色も少しずつ塗り替えられていく。
踏みしめ、弾み、リズムを感じ、ただ前へ。
この4年間で多くのものを失った。
別居前に築いた人間関係、馴染み深い地域、仕事、キレの良い体、実家の母、そして私の子宮。
得たものを挙げることもできるが、きれいにまとめたくはない。
失ったものより、まだ少ないからだ。
けれど、これらの喪失は、私を前に進ませる原動力にもなっている。
術後3カ月
「ストレッチは?筋トレは?腹筋は?もう走ってもいいですか?」と尋ねる私に、「ずいぶんアクティブなのね。でも様子を見ながらね。」手術前に手を握ってくれていた執刀医は、モニターから回転いすごとこちらに向き直り、カラっと笑いながら答えてくれた。
どれもとっくに始めていたんだけど、「ダメ」と言われなくてホッとした。
***
今、私は命を閉じるときに後悔しない生き方をしたい。
「めっちゃ楽しかったよ」と最期に噛みしめたい。
試練を乗り越え、未来をつむぐために、私はワクワクしながら走っている。
人生には予想外のことがたくさん起こる。
それでも、自分を信じている。
走ると五感が冴え、エネルギーが湧いてくる。
私は、死ぬまで自分の人生に挑み続けたい。
すすきが穂先をふわりと揺らし、プラタナスは樹全体に色が移ろう。
足を前に運べば、スニーカー越しにどんぐりを感じる。
赤いパーカーのフード越しに見上げる、雲ひとつない澄み切った青い空。
あぁ、外はこんなに広かったんだ。
走り始めた私の足の裏はカサカサした落ち葉の音を楽しんでいる。
その感覚を味わいながら、私はこの先に広がる景色を見たくて、心が躍っている。
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最後までお読み頂きありがとうございました。このエッセイは、寄付月間キャンペーン2024のために、シングルマザーの檸檬さんが執筆しました。NPO法人シングルマザーズシスターフッドは、シングルマザーの心とからだの健康とエンパワメントを支援する団体です。ご寄付は、「シングルマザーのセルフケア講座」の運営費として大切に使わせていただきます。ご寄付はこちらの寄付ページで受け付けております。
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