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寄付月間キャンペーン2024 エッセイ②


走る体から蘇る記憶


執筆者:ジニー


午後6時。終業のベルが鳴ると同時に、デスクから立ち上がり、玄関に向かう。準備体操を手早く済ませ、手ぶらで走り出す。


仕事終わりの15分ランを日課にしてから約一か月。体の調子はまずまずといったところだ。


元々走るのは苦手ではない。いや、むしろ得意な方だ。


中高の6年間は陸上部だった。身体は硬いし、泳ぎは不得意だし、道具を使う競技は好きではない。しかし、小さい頃から足だけは速かった。当時の私にとって、走るとは、他人と競うことであり、記録に挑戦することだった。


社会人になり、再び走り始めた。「美ジョガー」という言葉が、世に流行り始めていた頃だった。仕事終わりに同僚と皇居周辺を走った。週末はラン友とお台場や湘南を走った。合宿と称して、箱根や山中湖へ泊りがけで行ったりもした。オシャレなウェアやシューズに身を包み、ラン終わりのビールや温泉を楽しみに走った。当時の私にとって、走るとは、ファッションであり、社交であり、行楽だった。


しかし、子どもが生まれ、走る頻度は段々と減っていった。そして、3年前に走ることを完全にやめた。


シスターフッド・ランニングクラブ結成の告知があった時、この3年間、走る時間も気力も失われていたことを想い、少し泣いた。


夫が亡くなり、私がやるべきことは、子ども達のために安心・安定した生活を守り抜くこと、それが全てとなっていた。


しかし、3年経った今、生活はそれなりに安定し、また走りたいと思えるくらいには気力が回復している事実に気づいた。


また少し涙が出た。


走り始めは、恐る恐るだった。軽快な走りはできなかったが、それでも体がちゃんと動いてくれることに安堵した。


いま現在の私にとって、走るとは、なんだろうか。

日々の生活には、一人の手には負えないほどの大小様々なトラブルやタスクがある。せめて走るときは、何も持たずに、無心になりたかった。音楽は聞かない、時計も持たない、考え事もしない。


日が暮れているので、余計な視界情報が入らないのも、ちょうど良い。夜行性の動物のように、あるいは、自動運転モードの機械のように、規則的に肩を動かす。


苦しさと気持ちよさの境目にある、”苦(くる)気持ち良い”ペースを保つ。誰かとペースを合わせる必要がない、追い抜いたり追い抜かされたり、そんなことで一喜一憂もしない。キロ何分のペースだとか、今月は何キロ走ったとかも、一切気にしない。


「すがすがしい」


こんな気分になったのは本当に久しぶりだ。体中の細胞が覚醒し歓喜していることがわかる。


そうだ、思い出した!


私は走るのが大好きだったんだ。東京オリンピックの聖火ランナーに立候補したこともあった。自分がいかに走ることが好きかということを、PR動画や一分ピッチで熱く語った思い出が蘇る。


そうだ、思い出した!


私はレースに出るのが大好きだったんだ。スタート前の緊張感と高揚感。土地の空気を全身で感じながら走ること。沿道の声援を浴び、アスリート気分を味わうこと。苦しみと喜びが同居する不思議な感覚。ゴールした後の達成感と充実感と開放感。非日常的な刺激を求めて、各地のレースに出掛けた思い出が蘇る。


角を曲がると、息子が待つ保育園が見えてきた。よし、ラストだ。一気に加速する。心拍があがる。息があがる。あともう少し。10、9、8、7、さらに加速する。体がしびれる。足がもつれる。顔がゆがむ。もう限界。3、2、1、0、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ。


息子が私を見つけ、ダッシュで駆け寄ってくる。15分ランはあっけなく終了。


それでも、いま私の心には、小さくも確かな火が灯っている。


そうだ、いつかもう一度レースに出てみよう!



寄付月間キャンペーン2024ご寄付のお願い
最後までお読み頂きありがとうございました。このエッセイは、寄付月間キャンペーン2024のために、シングルマザーのJinnyさんが執筆しました。NPO法人シングルマザーズシスターフッドは、シングルマザーの心とからだの健康とエンパワメントを支援する団体です。ご寄付は、「シングルマザーのセルフケア講座」の運営費として大切に使わせていただきます。ご寄付はこちらの寄付ページで受け付けております。


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